魅せる! 江戸モード ‐浮世絵出版イノベーション‐

SPECIAL FEATURE

魅せる! 江戸モード
‐ 浮世絵出版イノベーション ‐

浮世絵の制作は、版元(はんもと)、絵師(えし)、彫師(ほりし)、摺師(すりし)の分業体制で1つの作品を作り上げる。絵師が描いた下絵(版下絵)をもとに、彫師が絵柄の色数ごとに版木を彫り、摺師が版木を紙に摺る。一般に摺師は1日に200枚前後を摺り上げ、これを「一杯」と呼ぶ。作品の売れ行きがよければ、追加注文を受けて増刷され、ヒット作品は数千枚に及ぶ。江戸や京都などの大都市では年間数百万枚の紙が生産され、特に越前(福井県)、美濃(岐阜県)、伊予(愛媛県)など、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)の主要産地から大量の紙が供給された。
注目すべきは江戸の出版流通。都市部に多く存在した書店、貸本屋、観光地や繁華街のお土産品屋に加え、地方への書籍や浮世絵の流通には行商人(レップ)が大きな役割を果たした。担ぎ屋と呼ばれる行商人が、都市から地方へ商品を運び、地方の町や村で販売。浮世絵版画1枚の価格は「ソバ1杯」ほど。
定期的に開催される市や縁日には多くの人々が集まり、書籍や浮世絵が販売された。これは、現代のファッションウィークのようにデザイナー、バイヤー、版元が一堂に会し、新しいトレンドが発信される重要なイベント。特に大都市で行われる大規模な市は、地方からのバイヤーも訪れる重要な流通拠点となっていた。また、特定の書籍や浮世絵を個別に注文することも可能で、注文を受けた版元が制作し、依頼者に届けた。
自主的に運営されていた寺子屋での修学に加えて、かわら版(新聞)や書籍、浮世絵などの出版物が登場したことも、読書熱を高めた。その結果、江戸後期の日本は、同時期の欧州諸国と比べても非常に高い識字率を誇り、鎖国中にもかかわらず、世界最先端の独自の出版システムを完成させた。


*ユニフォトプレスは、日本の文化や歴史、芸術の理解に欠かせない貴重な浮世絵を多数保存するボストン美術館(Museum of Fine Arts)、ヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)、大英博物館(British Museum)の写真を取り扱っています。書籍や教科書での利用に加え、テレビや商品化など、幅広い用途での利用に対応し、著作権処理の代行サービスも行っています。また、弊社サイトでお探しのものが見つからない場合も、取り寄せ可能ですので、お気軽にお問い合わせください。

Category : 歴史

Date : 2024.07.24

大衆文化の中で花開いた浮世絵出版と版元の影響力

江戸初期の1627年に吉田光由が出版した数学書「塵劫記(じんこうき)」の初版は、京都の書店によって出版され、全国で人気を博し、多くの再版や改訂が行われ、日本初のミリオンセラー本と目される。主にそろばんの使用に焦点を当て、さまざまな数学の問題と解答を収録した重要な教育リソースとして日本の数学教育の基盤を確立した。書名は仏教語の「塵点劫」に由来する。
書店と版元は江戸、大坂、京都に多く存在し、書籍や浮世絵を企画、制作、販売した。版元が発注する絵師には、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重といった、人気浮世絵師たちが名を連ねる。版元と専属契約を交わす絵師もいれば、独立する人気絵師もいた。彫師は、緻密な輪郭線を摺り上げ、摺師はバレンの使い方を駆使した様々な技法を編み出した。
NHK大河ドラマ「べらぼう」主人公になった蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)は、江戸・日本橋に蔦屋書店を構え、新人作家を発掘し、浮世絵師・喜多川歌麿や、作家・滝沢馬琴の作品を多く手がけた。江戸・神田に本店を構えました須原屋(すはらや)は、特に儒教や仏教の経典、辞書、学問書などの学術書の出版で知られ、江戸・京橋に鶴屋書店を構えた鶴屋南北(つるや なんぼく)は、歌舞伎や浄瑠璃の台本、黄表紙などの娯楽文学を多く出版。
京都の有名な版元だった西村屋与八(にしむらや よはち)は、仏教経典や絵本、草双紙などを出版。特に、浮世絵師・鈴木春信や鳥居清長の作品を手がけたことでも知られる。河内屋太助(かわちや たすけ)は、江戸・日本橋に本店を構え、浮世絵や黄表紙、草双紙などの娯楽文学の出版に力を入れ、庶民文化の普及に貢献した。

小袖雛形ファッションコーデで輝く

日本にとどまらず、世界の雑誌市場では女性誌が大きなシェアを占める。特にファッション雑誌セグメントの成長は、現在でも続く。ファッション雑誌(定期刊行物)の歴史を紐解くと、フランスの「Le Cabinet des Modes」の発刊が1770年代、英国の「La Belle Assemblee」の創刊が1806年、現在でも有名な「Vogue」の創刊が1892年。
「Vogue」が創刊された約200年前の1677年、日本で着物のファッションカタログ「小袖雛形(こそでひながた)」が創刊された。「小袖」は、江戸時代の日本で流行した着物のスタイルで、「雛形」は着物のパターンや型紙。小袖雛形は書店でも販売され、町衆の女性たちが買い求めた。
江戸時代のポップカルチャーの中心的存在だった歌舞伎役者が、舞台で着る衣装や化粧法は、庶民にとって最新のファッション。浮世絵師は、歌舞伎役者や美人画を描くことで、ファッショントレンドを反映し、また新しいトレンドを生み出した。吉原などの遊郭で働く花魁(おいらん)も、ファッショントレンドの重要なインフルエンサー。華やかで豪華な着物や髪飾り、化粧法は、広く憧れの対象となり、多くの女性が彼女たちのスタイルを模倣した。江戸時代の女性の髪型は非常に複雑で、髪をさまざまな形に結い上げ、多くの髪飾りを使って装飾した。
茶の湯や伝統芸術に精通した人々も、ファッションに影響を与えた。彼らが着る着物や装飾品、また茶の湯で使用する道具や器のデザインは、洗練された美意識を反映し、ファッションに対する価値観を形成。江戸時代の都市文化が発展する中で、裕福な商人たちもファッションのトレンドセッターとなり、特に京都や江戸の裕福な町人階級は、贅沢な着物やアクセサリーを身に着け、最新のファッションを追求。広く庶民に影響を与えた。

流行を発信する日本橋は江戸ファッションの聖地

江戸の日本橋周辺には多くの版元や書店があり、浮世絵やファッションに関する書籍やカタログが多く販売された。また、主要な交通路「五街道」の起点で、江戸の主要な経済・交易のハブ。多数の商人や問屋、店が集まり、商品の流通拠点で商業の中心地。豪華な着物やアクセサリーを扱う店が多く、裕福な町人たちが訪れ、最新ファッショントレンド発信の「聖地」となった。
江戸時代の染色技術は、日本の伝統工芸の中でも特に発展した分野の一つ。藍染(あいぞめ)、友禅染(ゆうぜんぞめ)、絞り染め(しぼりぞめ)、型染め(かたぞめ)、紅型(びんがた)などの染色技術は、現代においても伝承され、染料には、天然の藍、紅花、紫根(むらさきね)、蘇芳(すおう)、茜(あかね)などが用いられた。
江戸時代には浮世絵にも検閲があり、主に政治批判、風紀風俗の乱れ、奢侈(しゃし)という3点が取り締まりの対象で、幕府に対する批判が少しでも疑われれば処罰された。 また徳川家や同時代の事件や出来事を題材にすることは禁じられていた。
浮世絵は19世紀後半に日本が開国すると、ジャポニスム(Japonisme)と呼ばれる日本美術の影響が欧州芸術界に波及。特に欧州の芸術家に大きな影響を与え、多くの西洋の美術コレクターやディーラーが、浮世絵を含む日本美術品を収集し、多くが海外に輸出され、国際的な博物館や美術館にも所蔵されている。

お問い合わせ・ご相談 無料

こんな写真を探している
こんな企画があって写真を多数使用したいなど、
ご相談は無料で承っております。

TEL 03-3264-3761 mail お問い合わせフォーム
×
×CLOSE