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ムガル絵画とは南アジア・北インド独特の絵画のスタイルであり、ペルシャ細密画(ミニチュアール)の影響を汲みながら15世紀~18世紀にムガル帝国の宮廷において発展したものです。ムガル絵画は写本の挿絵として始まり、肖像画や宮廷内の日常、風景、動物や狩りの様子などが題材として描かれました。
アクバル(在位1556年-1605年)の時代、ムガル絵画は宮廷のサポートを後ろ盾に大きく発展しましたが、その後アウラングゼーブ(在位1658年-1707年)の時代に君主が絵画に興味がなかったこともありムガル美術は衰退しました。
弊社が日本の代理店を務めるイギリスのヴィクトリア&アルバート美術館では、多くのムガル美術の画像を扱っております。今回はそのヴィクトリア&アルバート美術館の貴重な画像をメインにムガル美術をご紹介いたします。
Category : 歴史
Date : 2022.02.05
ムガル帝国は西はインダス川流域、北西はアフガニスタン北部、北はカシミール地方、東は現在のバングラデシュの高地などに広がっており、アジアの広い地域を支配していました。ムガル帝国ではワニ、チーター、トラ、象、そして色とりどりの鳥など多種多様な動物が生息していました。動物や草花はムガル美術のモチーフとして好まれて選ばれました。
ムガル帝国はイギリスのインド植民地化が始まるまで約300年続きました。その長い歴史の中で独自のインド=イスラーム文化が発達し、文化的な豊かさが育まれました。ムガル美術は宮廷の日常生活を描いたものが多く、それは宮廷芸術として発達しました。イラン出身やインド各地出身の画家が宮廷に招かれ、それぞれ思い思いに描いたのです。
ムガル帝国は1800年代にイギリス領インド帝国に解体されるまで、軍事的な戦いによって維持・支配されてきました。初代皇帝バーブルが死去した後も、肉親のフマーユーンによって帝国は引き継がれ、さらにフマーユーンの死後はその息子アクバルが統治しました。ムガル美術ではこのような歴代の皇帝も頻繁に描かれました。
ムガル帝国は広大な国を治めるために様々な人種・文化・宗教が入り混じる中多くの戦を行いました。その戦の中で作られたアーグラ城塞には2.5kmの塀があり難攻不落を誇りました。現在はその建築様式と高い完成度で観光地となっています。
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