西アジア・中東史をつかむ

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西アジア中東史つかむ

アラジンと魔法のランプ、アリババと40人の盗賊、シンドバッドの冒険、空飛ぶじゅうたんなど、日本でも有名な「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」は、1704年、フランスのアントワーヌ・ガラン(Antoine Galland)が、アラビア語の写本からフランス語に翻訳した「千一夜」を出版し、世界中で翻訳されて広まった話だが、原本には無かったという。オリジナル・アラビアンナイトの現存する最古の写本の断片は、800年代のものとされる。
 当時の西アジアでは、750年にアッバース朝が開かれ、ティグリス川西岸に三重の城壁を持つ円形都市、バグダッドが造営された。830年にはバグダッド大図書館(知恵の館)が設立。ギリシャ語による医学、哲学、自然科学の書物が収集され、アラビア語に翻訳された。日本では東大寺の大仏が完成したのが752年。
 古代にさかのぼれば、紀元前2900年ごろ、メソポタミア(ユーフラテス川とティグリス川に挟まれた地域)文明が栄え、シュメールやアッカドの都市文明が築かれた。1299年、中央アジアから移住したトルコ族によって、オスマン帝国が建国され、20世紀初頭まで西アジア、北アフリカ、バルカン半島、黒海北岸、カフカス南部を支配した。

Category : 歴史

Date : 2023.11.29

古代世界の七不思議

ギルガメシュ(Gilgamesh)は、古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代の伝説的な王で、半神半人の英雄。紀元前2600年ごろ、ウルクを治めた。また、人類最古の物語とされる「ギルガメシュ叙事詩(じょじし:Epic)」の主人公。RPGで人気を博するドラゴンクエストやファイナルファンタジーにも登場するキャラでも知られる。
 紀元前27世紀~紀元前22世紀、エジプトのナイル川流域には、数々の都市が栄え、王族の墓としてピラミッドや神殿が建設された。水源に恵まれ、農業と交易が盛んに行われ、エジプト文明の発展を支えた。有名なクフ王の大ピラミッドは、紀元前2500年ごろに建てられた。
 古代メソポタミアに存在した都市、バビロンとニネバは、巧みな都市計画や防壁によって築かれ、文化の中心地として栄えた。バビロンは、古代ギリシャの数学者フィロンが選んだ「世界の七不思議」の建造物のひとつ。ニネバは、古代アッシリアの首都で、当時世界最大の都市だった。

イスラム黄金時代

西アジアの中世や黄金時代には、数学、天文学、医学、工学、化学などの学問が大きく発達した。当時の進歩を反映するかのように、アラビア数字、アルファベット(Alphabet)、コーヒー(coffee)、コットン(cotton)、マガジン(magazine)、シロップ(syrup)、キャンディ(Candy)、アルコール(Alcohol)、シャーベット(Sherbet)、ゼロ(Zero)など、アラビア語から派生した単語は、現在でも英語に多く存在する。
第一次世界大戦後のオスマン帝国の分割とイギリスの介入は、中東における複雑で悲劇的な展開を招いた。英国の軍人・作家・考古学者で、第一次世界大戦中にアラビア半島でのゲリラ戦を指導した陸軍の情報将校トマス・エドワード・ロレンス(T.E.Lawrence)は、「アラビアのロレンス」として知られ、自らの経験をもとに書かれた著書「アラビアの七つの柱(Seven Pillars of Wisdom)」は国際的に有名。
20世紀初頭の歴史的な文書「バルフォア宣言(Balfour Declaration:大英国図書館蔵)」は、第一次世界大戦中の1917年11月2日、当時の英国外務大臣アーサー・バルフォアが、ロスチャイルド男爵に送った書簡で、中東史と国際関係に大きな影響を与え、今日まで続く複雑な問題の発端となった。

オスマン帝国の繁栄と衰退

オスマン帝国(Ottoman Empire)は、1299年にオスマン1世によってアナトリア半島で建国され、勢力を広げながら13世紀から20世紀初頭まで存在した、トルコ系のイスラム教国家。その長寿と多様性は、歴史的に重要な帝国と見なされる。
 カラケイ(ガラタ)やコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)は、オスマン帝国の中心地として栄え、東西の架け橋として機能。またオスマン帝国は多様な宗教や民族を包摂する宗教的寛容性で知られ、非ムスリムの市民も公職に就くことが認められ、帝国内での異教徒の共存を可能にした。法体系は独自のシャリーア(イスラム法)を基にした法律を使用し、非イスラム教徒には独自の法律も認めた。
 17世紀以降、オスマン帝国は経済的・政治的な困難に直面し、複数の戦争で領土を失った。19世紀末から20世紀初頭にかけて、近代化を試みたが、帝国内での異民族間の緊張が高まり、第一次世界大戦では連合国に敗れ、1922年にトルコ共和国が成立し、オスマン帝国は正式に崩壊した。
 コーヒーの起源を紐解くと、9世紀ごろにエチオピアのアビシニア高原で発見され、アラビア半島で栽培された説が有力で、「アラビカ種」と呼ばれる。また、アラビア半島の南西端、紅海に面した「モカ港」から輸出されたコーヒー豆を「モカ」と呼び、世界最古のコーヒー豆ブランドといわれる。

オスマン帝国の分裂後

近東、中近東(Near and Middle East)、中東という総称は、オスマン帝国の崩壊を背景に、19世紀から20世紀初頭に登場した。地理用語ではなく、東アジアを極東(Far East)と呼ぶのと同様に、欧州から見て「東方」の距離に応じた呼称。
外務省の「国・地域」は、アジア、中東、欧州、アフリカ、大洋州、北米、南米の7つに区分され、地理統計要覧では、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカ、オセアニアの6つに大別される。世界史では、アジア西部を指す地域区分を西アジアと呼ぶ記載が多い。ただし、第1次中東戦争のように、固有名詞では中東が使われる。
 大学入学共通テスト(旧大学入試センター試験)の過去問題でも、西アジア地域は頻繁に出題される。西アジアの主な産業は石油産業。日本の2021年度の原油輸入量に占める中東地域の割合は92.5%だった。またナツメヤシ(デーツ)は、北アフリカや中東では主要な食品の一つで広く栽培される。
 西アジアの気候は、砂漠気候とステップ気候で、年間を通して降水量は少なく、昼と夜の気温差が激しい。石油産業以外では、観光業に注力する国が多い。なかでも砂漠上の大都市として有名なドバイには、「世界最大」や「世界初」という称号を冠する商業施設や観光スポットが並ぶ。

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