天文巡礼

SPECIAL FEATURE

絵画に見る天文学

観察眼(五感)を鍛え、知覚で見たビッグデータを"見える化"する画家の洞察力と再現力は、重要な情報を引き出す質問力、確実に理解してもらえる伝達力、失敗しない判断力などの育成につながるという考え方から、米国の有名大学や大手企業では、高校3年間の成績(GPA)以外に、"絵画鑑賞(美術)"や音楽を学習することが重視されている。日本での天文教育の目的は、時間概念、空間概念、物質の輪廻(りんね)を学習して、創造性をはぐくむこと。
ゴッホに続き、1923年~1924年に、ムンクがノルウェーのオースゴールストランで描いた「星月夜」に描かれている星を、現代の天文学で検証すると、1924年8月下旬の午前3時30分ごろ、北北西に冠座と牛飼い座の一部が確認でき、地平線辺りが明るいことも、絵画と一致。ムンクが感情のままに絵を描いたのではなく、実際に星空を観測し、絵画に天体の方角位置関係を正確に描いたことがわかる。
17世紀には天文学者の絵が多数制作され、なかでもヨハネス・フェルメールが1668年ごろに描いた絵画は有名。当時のオランダは海洋貿易で大成功を収め、船の航行に天文学の知識が必要不可欠だったこともあり、天文学者の肖像は17世紀のオランダ絵画で好まれたモチーフだった。

Category : 絵画

Date : 2023.03.23

宇宙から受け取った光に呼応する

ガリレオ・ガリレイが生まれた1564年、室町時代の日本では「桶狭間の戦い(1560年:織田信長軍と今川義元軍の合戦)」が起きたころ、宇宙の中心は地球で、太陽も、すべての星も地球のまわりをまわっていると信じられていた。この何千年間にわたり人々が何の疑いもいだかず、信じきっていた天動説 (Geocentrism)に対し、アリスタルコスやコペルニクスは、観測データと天文学の計算によって、太陽は宇宙の中心に静止し、地球はほかの惑星とともに太陽のまわりを自転しながら公転しているという学説を導き出した。
16世紀の理論的に天体の運動を解明したヨハネス・ケプラー、1815年のフレネルの波動説、1865年のマクスウェルの電磁理論、1915年のアインシュタインの一般相対性理論発表、1965年のペンジアスとウィルソンによる宇宙背景放射の発見など、宇宙から受け取った光を観測して重要な発見や発明につなげたことを記念して、国連(国際連合)とUNESCO(国際連合教育科学文化機構)は、2015年を国際光年(International Year of Light)と定め、科学的視点の形成と科学コミュニケーションを世界に呼びかけた。

地動説以前の天文学

天体の表情には、カレンダー機能があり、農作物の収穫量と密接な関係が知られたことから、太古から世界各地で夜空の入念な観測が行われていた。古代ギリシャの天文学者アリスタルコスは、紀元前3世紀、宇宙の中心には地球ではなく太陽が位置しているという太陽中心説を唱えたが、広く受け入れられることはなかった。
2世紀には古代ローマのクラウディオス・プトレマイオスが著した学術書の「アルマゲスト」、「テトラビブロス」、「ゲオグラフィア」が、古代末期から中世を通して、中東と西欧の権威とみなされ、地球を中心とする「周転円宇宙モデル」を唱える天動説が支配的となった。
光学の諸原理を発見したイスラム圏の天文学者イブン・アル・ハイサムは、レンズや鏡を使った屈折や反射の科学的実験手法で光学に関する書物を1015年に出版。天文学の発展に貢献。月の「アルハゼン・クレーター(Alhazen crater)」は、アル・ハイサムの栄誉をたたえて、名が称されている。

画家が注目した宇宙観

画家が切り取った芸術作品の歴史は、人類の世界観の変革の歴史。強力な教会権力の支配下にあった中世末に、コペルニクスが唱えた地動説は、近代科学の合理的な世界観が形作られた象徴的な出来事だった。

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